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ショーン・コネリー と リシュボア

執筆 : 
Shigeo Horie 2009-3-15 21:04
 春が来た。

 “山笑う”といえば春の季語だけど、花粉症歴すでに30年を超えた自分としては、春の到来は憂鬱、物憂い季節にほかならない。花粉の多い日は休日であっても、しかたなく外に出ずに読書する日々になる。直木賞作品「利休にたずねよ」、信長秀吉に仕えた武将であり利休の弟子古田織部の漫画「へうげもの」。男たちが緊張を持ちながら集い、茶を喫する世界に郷愁を感じる。郷愁―サウダージ、信長秀吉の安土桃山の絢爛さにはポルトガル人の南蛮文化も大いにあずかった。「てんぷら」とか「カルタ」などのことば以外にも、今われわれが使っている「ぴりぴり」する、ということばもポルトガル語が由来。そもそもはアフリカスワヒリ語から来たのだとか。

 ポルトガルの春は暖かく、花々が美しく、花粉症がなく、そして青空がまぶしい。ポルトガルの首都リスボン、現地ではリシュボアと発音する。ローマと同じように丘が多く、坂が多い街である。古い街並みが続き、角々では老人たちがカフェにつどって話し込んでいる。そのリスボンを舞台にした映画「ロシア・ハウス」、ショーン・コネリーが出てくる映画だ。冷戦時代のリスボンを舞台にソ連知識人の亡命とスパイ活動に巻き込まれるショーン・コネリー。ソビエトの女性は、憂いを帯びたミッシェル・ファイファーが登場。映画最後のシーンがすばらしい。この映画をみてリシュボアに出かけた。郷愁のある街、なぜか懐かしく、食べ物もおいしい。人懐っこい笑顔に出会える。

 さて、男らしい男といえば、ショーン・コネリーといって異を唱えるひとはあまりいないだろう。禿げているからというわけではない。007の色気とは別に。判断力や勇気だけでなく、“思いやり”がある役を演じられるところか。「レッド・オクトーバーを追え!」「風とライオン」「ロシア・ハウス」が好きな映画。ところで、ショーン・コネリーが好きな人間が、おすすめの俳優はというと、(Yahoo映画より)
ジョニー・デップ、ロバート・デ・ニーロ、モーガン・フリーマン、ニコラス・ケイジ、ブルース・ウィリス、ブラッド・ピット、トム・ハンクス、ハリソン・フォード、アンジェリーナ・ジョリー、デンゼル・ワシントンとか。これはめちゃ、ホルモン力高そう!

 この“思いやり”、思うに母性の思いやりと父性のおもいやりがあるんじゃなかろうか。

 母性の思いやりにはオキシトシンというホルモンが関わっている。オキシトシンは授乳ホルモン。授乳行動に際して、母親ではこのホルモンがぐっと上がる。このオキシトシンは愛情や信頼、また硬いことばだが「利他行動」に関係するといわれている。さらにおっぱいを上げているお母さんは赤ちゃんを見つめているが、眼を開けた赤ちゃんもお母さんの眼を見るとオキシトシンが上昇する。母子の絆にはオキシトシンが重要であるし、幼児期に不幸にも母子の絆がなく、オキシトシンが上がる経験がないと自閉的になるという報告もある。このオキシトシンは「女性ホルモン」のエストロゲンに比例するので、女性らしさ、には愛情とか、自分を省みずにヒトのことを思う、という要素が含まれている。

 父性の思いやりはむしろドライであり、距離感が母親より遠い。しかし突き放すようでいながら、今すぐでなく将来を見越した、「思いやり」は父親のものだろう。立場や、秩序をわきまえた上での保護、ケアはバゾプレシンというホルモンが関わっている。このホルモンは「男性ホルモン」つまりテストステロンに比例するから、男らしい=思いやりというのもあながち的外れではない。もっとも女子にもテストステロンは高いヒトは結構いるので、テストステロンを男性ホルモンと呼ぶのは適当でないと考えている。むしろ、ソーシャルホルモンとでも呼ぶべきだろう。

 日曜日は茶を喫するのも、ホルモンに良いと思う。
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ドライアイ よくなった!

執筆 : 
Shigeo Horie 2009-3-9 8:48
 まえから診察室の液晶を外来時間イッパイみているとむやみに目が疲れるな、と感じていた。目、歯、「…」から老化は始まるというけれど、目の疲れは集中力を著しく欠く。
 
 そんなとき、アンチエイジングの巨匠、慶応義塾大学眼科教授の坪田一男先生から「君はドライだと思うので、ドライアイ研究会の機関紙
“Frontiers in Dry Eye”の座談会に出てよ」といわれて、診察を受けることに。日本にもドライアイの患者は800万人いるらしい。坪田先生はドライアイの日本の権威でもある。

 実は最初に坪田先生にお会いしたのは、再生治療をテーマにしたある研究会。羊膜を用いて角膜移植を行う、画期的な論文を「New England Journal of Medicine」に発表された直後だった。その後抗加齢医学会に入って、今度は「アンチエイジング」「酸化ストレス」の話がまたまた面白く、とうとう自分で研究をすることになったし、いつも知的な刺激を受けている。おまけに坪田先生もドライアイだったけど、アンチエイジング的な生活介入で改善された「実績」を持つ。

 診察では涙の出方は正常だが、早く吸収されるので結局ドライアイになることがわかった。またマイボーム腺という、眼に油を差す作用を持つ組織が衰えていることもわかった。マイボーム腺は温めるとよいということで、そういえば熱い「オシボリ」を眼に当てると眼の疲れがとれるのもそのせいかと納得。さっそく、必殺涙点プラグを受ける。涙を鼻へ流す涙点は上下2個あるそうなので、上だけ小さなシリコンでふたをしてしまうもの。症状が重いヒトは2箇所にするらしい。瞬間的に眼に涙が増えて、「ウルウル」になってきた。

 花粉症の季節で、抗ヒスタミン剤を飲んだりするとわかりにくいけど、眼の疲れが格段に取れたのは驚き!さらに坪田先生はEPA (青魚の油成分)もいいよと、すすめてくれた。

 医者も自分の専門を離れると、わからないことだらけだけど、改善するっていうのはすごい、とつくづく感謝。いまだに眼はウルウルなんだけど、顔は少し若返ったみたい..
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Globalisationと抗生物質

執筆 : 
Shigeo Horie 2009-1-12 12:06
歴史がこのサブプライム危機をどう解釈するのか、あと20年くらいかかるのかもしれないけど、サブプライム前と後で世の中がどう変わっていくのだろうか?繁栄は共有したいけど、危機は結局は自分で対応しなければならない。
The world is flat”はTom Friedmanが著したサブプライム前の希望に満ちたglobalisationの本。

そこではアメリカの救急病院では、夜中に来た救急患者で撮ったCTをインドに送ってインドの(ただしアメリカのboardがある)医師が読影して、そのレポートに基づき侵襲的な治療を行う、というようなoutsourceの衝撃的な話が満載されていた。
ITにより世界が同期して、経済活動を行うことが人類全体の歴史上あらたな幸福のphaseに入った、というような内容だと記憶している。実は僕もこの本を読んで、ある統計ソフトの開発をインドの会社に頼んだことがある。確かに値段も安かったし、交渉も面白かったが、いろいろやり取りした最終的なコストは日本で作成した場合とは大きくは違わなかった…
さて、このglobalisationは幸福も一緒なら不幸も一蓮托生というわけで、つないだwebは元には戻らないけれどもなんとなく、苦い印象が出てきた。気がつくとDuty Free Shoppersも世界中どこ言っても同じ商品しかないし。(いつも思うんだけどカカオと砂糖って無尽蔵なのかな?) そうなると世界どの国もまず自分の国に最善なことを必死に考えているんだと思う。テロリズムとは別に、学生の騒擾はいつだって、ある意味での社会への異議申し立てなんだろうけど、このところのギリシャや韓国での若者のprotestは、globalisationにより失われる文化や価値に対する不安や怒りをテストステロンの力で発揮しているんじゃないかと思う。
その意味で最近のThe Economist(Jan 8th 2009)の記事Of antibiotics and globalisationは面白い。住民への抗生物質の投与量がラテン系で高く、アングロ系で低いという国別のデーターの論文から(Antibiotic Prescription Rates Vary Markedly Between 13 European Countries. Scand J Infect Dis 34: 366–371, 2002)いちばん多いギリシャと少ないオランダでは3倍投与量が違うという驚くべきデーターが出てきた。もちろん医療制度や医者の数も関係するんだろうけど、たとえば風邪を引いた子供にはドイツではまず抗生物質は処方されないし、親も望んでいないが、ラテンでは医者が処方するまで粘るというのが実情らしい。これは医療に関する意識や医学知識に加えて社会や制度に対する不信や自衛心が関与しているんじゃないか、というのがこの記事の趣旨になっている。というのもglobalisationによって豊かになったかという調査をEU諸国で行ったところ、この抗生物質の投与量の分布はまさに、globalisationにより幸福になっていないと感じている国の分布といわば同一だったからだ。牽強付会かもしらないが、医療は人間社会を映すscopeだと改めて実感。日本での抗生物質投与量は?と探したもののwebですぐには見つからなかった。こういう情報の公開も重要だ。
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前立腺がん患者の“魂”のブログ

執筆 : 
Shigeo Horie 2009-1-7 17:31
New York Times (NYT)のeditorであるDana Jenningsが前立腺がんとなり、前立腺がんについての彼のブログ

Prostate Cancer Journal One Man’s Story Dana Jennings blogs about his experience with prostate cancer.

が 2008年11月11日から毎週掲載されている。
ちなみにここでいうjournalは雑誌という意味でなく、記者の個人的な経験のレポートのことで、たとえば福島県太田で産婦人科医療事件を記者が取材すると、タイトルの後にOhta Journalということになる。

Danaは51歳、前立腺癌になるとしては若い方だ。19歳と22歳の二人の男の子がいる。

アメリカでは前立腺癌は男性の6人に一人が罹患する。しかも前立腺癌の治療は、排尿や男性機能をはじめ、男性の尊厳に関わってくる。しかしこれだけ多い癌なのに、open なdiscussionはあまりなく、医師と患者の間だけでの医療情報の交換と確認、そして治療しかない。

Danaは前立腺癌になり、開放手術をうけた。手術の結果、癌は前立腺の外まで浸潤し、しかもGleason score 9の悪性度が高い癌であった。統計的には2年間で約半数は再発する厳しい癌といえる。その結果彼はさらに男性ホルモンを抑える内分泌治療と放射線治療を受けている。人生に1回だけ癌にならねばならないとしたときに、前立腺がんであれば泌尿器科医は「ラッキー」と感じるだろう。多くの場合治癒するか、治癒しなくても十分時間が残されているからである。しかし「癌」という事実は「よい」とか「悪い」という相対的な言葉を圧倒的に拒絶する、とDanaは感じている。そして癌がある、というだけでヒトは孤独になり深く傷つく。
DanaはNYTで毎週ブログを書き、この前立腺癌と生きていく自分のありのままを、正直に伝えたいと願っている。すごく勇気がいることだ。そしてその勇気は、ほんとうに数多くの患者や家族、サポーターも励ましている。

この初回の記事には500を越えるレスポンスが寄せられた。たとえば、「性に関わる病気には誰もが触れたがらない、あるいはくすくす笑われる対象にある。睾丸がひとつしかないとか前立腺がないオトコを考えてみろよ、そりゃバイアグラがあるといってもね」

「病気について話すときでも、病気の情報だけで、個人の事情とか自分の気持ちをどうもっていったらいいかとか誰も話してくれない」

Dec 2の稿では、前立腺がん治療の双子の副作用である、EDと尿失禁について言及している。いやEDというのは、正しくないことをこの記事で知った。当たり前かもしれないが、前立腺と精嚢を取ってしまうと、勃起そのものよりも性行為自体が全く変化してしまう、その感覚は泌尿器科医にも経験しない限りわからない。
医師はひとりひとりの患者と出会い、統計的なエビデンスにもとづいた診療を提案する。治療の過程で形付けられていく前立腺がんという病気に個人がどう立ち向かっていくのか、この連載は多くのことを専門医にも教えてくれる。

Dec 8では、癌がある、というこのやるせない、気持ちを癒す音楽の効用にも触れている。癌がある、不公平、理不尽、という怒りに満ちているとき、ロックを聴くことが癒しになる。Danaの記事を読んで、僕も衝動的にSystem of a down のToxicityとMetallicaのMaster of PuppetsのCDをamazonで頼んでしまった。年越しはヘビメタ、というのもいい気がする。

Dec 23、Danaが肉声で語るビデオクリップが見れる

医師は病気について何がわかるのだろう、あるいはどう患者と関わっていくことができるのだろう。2009年は医師になって25周年。僕ら泌尿器チームと患者、そしてサポーターの方々と、新しい出会いができそうだ。
2008.12.30
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